ヒグコハ

子供と一緒に遊び、瞑想。

子供が心を閉ざしてしまうことにチャイルドカウンセラーが5つ書いているが、1つで言い換える!

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5つ書いているが、たった1つで良い!

上の子が拗ねて、全く口を利かなくなる時があります。わがままだったり、本当に親に非があったり。

だが親のやるべきことはたった1つのことから始まり、それ以上のことは無いと思います。ケース別に5つのNG事項をカウンセラーが説明していますが、

「見ていないのはだめ」

この1つだけで充分です!

 

 

news.livedoor.com

 

油断するとどんなに近くにいても、親は「いない」も同然

公園ですぐに戻ってくる子、戻ってこない子

小さな子供を見ていると、遠くまでのびのびと遊びに行く子と不安そうにすぐ親元に戻る子供がいます。

もちろん子供の特性もあるが、不安そうな子は結構な割合で親が子供のほうに目線を向けていないことが多いです。

親が子供を見ているということはただの監視ではなく「時間と記憶の共有」です。子供は自分が親と別の時間を過ごしていることを敏感に察知するからこそ、不安になるのでしょう。

子供の満足感は共有できた時間と記憶がどれだけあるかに左右される

一日が終わったときに小さな子供が目を輝かせて話すのは「一緒にやった遊び」が圧倒的に多くないでしょうか。

遊びそのものは他愛も無いものかもしれなくても、一緒に楽しんだこと、その成果を共有していることは子供に大きな喜びを与えています。

共有していない時間、親は「いない」も同然です。

それが積み重なれば、「いないのが当然の人」=「他人」になるのが当たり前ですよね。

 

比較する、親の都合だけで話をする、頭ごなし。どれも視点が子供本人ではなく、「親の頭の中にある妄想の子供像」になっている

比較するということは、比較対象との関係性の中で親が望ましい子供像を作っています。

親の都合で話をする時は、親にとって望ましい行動をする子供像を強要しています。

頭ごなしで話をする時は、過去から推測した子供像を一方的に断罪しています。

どれも「今、ここの子供」と話をしていません。

親と子供は別の時間、別の場所にいるも同然です。

まとめ

親は明日には死ぬかもしれません。「今の子供」を大切にしてあげましょう。

無理はしなくていいので、一緒にいてあげるのが今の親としての私の仕事だと思っています。

だって親のエゴや思い込みで甘やかしたり叱ったりするよりも、自分の為に自分のことだけを見ていてくれた時間を子供が覚えているほうが、ずっと子供の生きる力になりますよ。

なぜなら、その時の親は「人生を自分の為だけに生きていてくれた」のですから。

 

以上~私の意見です!皆さんはどうでしょうか?

ぜひご意見を聞かせてください!待ってます!