情報が氾濫する中で少数派の意見を届けることの難しさ
いつの世も、届けたい対象に正しい情報を届けるというのは難しいものです。
「保育園落ちた日本死ね」から始まる保育問題もようやく国会に届き、塩崎厚労大臣から、政府の待機児童緊急対策が発表されたかと思いきや、保育園の雇用環境の改善が見られなかったり、今更それをやっても・・・というような内容が見られたりガッカリ感が否めません。
どうして問題になっているのか、何が問題なのかを良く分かっているのは現場に近いほど明確で、離れるほど古い情報のままであったり、偏った認識を持っていたりするものです。
そして、自分の持つ情報を更新するためにはどうしても「積極的に」情報を取り入れる必要があります。そのためには「動機」が必要。
でも世のかなりの割合の人たちは子供はいないし今後も子供を持つことは無い。
発達障害も同じ。
少数派であるということは、密な関係が発生することも少ないということ。
広報のアプローチを工夫しなければ他の情報に埋もれて届かなくなってしまいます。
ところでこのスゴロクをご存知でしょうか
クソゲー作った。
— Nirone (@Via_Nirone7) 2015年8月1日
「2人子持ち共働き夫婦の朝すごろく」
全然手がかからない楽な日とアホみたいに手がかかる最悪な日の落差がでかい上に、なぜ楽でなぜ最悪だったのかが完全ランダムでいつも釈然としないとこがクソゲー。あと難易度が超クソ。 pic.twitter.com/o8CpSmrK3X
このスゴロク
「まあひどい」
「だがまさに我が家だ」
と言わざるを得ない逸品でした。
だけど注目すべきはそこというより(いや面白いのですが!)
このツイートの「リツイート」「いいね」のユーザー層です。
明らかに子育てとは関係ない若い層・ゲームユーザー層が多く含まれています。
保育園への登園のどうしようもなさを「スゴロク」という「ゲーム」に変換したことで元々面白いことやゲームに興味関心のあったユーザー層に広く情報が届いた、といえます。
これは「子育て」と「ゲーム」のコラボといえるのではないでしょうか?
コラボの可能性は販売拡大以外に「ターゲットが能動的に取り入れるコンテンツに変換」出来る点にある
2016年4月8日、今日は発達障害啓発週間最終日ですが、県職員がティッシュを配る・ポスターを貼るなど
「そもそも興味を持っている人しか目に留めない」
キャンペーンが目立つことが気にかかります。
その意味では、
「楽しい話題になる」
「誰もが理解できる」
という意味で
誰もが知っている昔話・名作+大喜利とコラボした「ADHD版名作劇場」は優れていたと思います。
もちろん、コラボはコンテンツとしての魅力を最優先してしまうことで本来の趣旨がなおざりにされてしまう危険が常に付きまといます。
#ADHD版名作劇場 が不謹慎だと感じる人がいるみたい。その人はこれを書いてる当事者たちが、苦しんで悩んで涙を流して、そして自分自身の生きづらさを抱きしめて「何とか普通になろう」という気持ちを手放して「このままでもいいや。でももう少し変わりたいな」になってるって思えてるかな。
— 雲崙 自閉症啓発週間仕様アイコン使用中 (@sunshineplace) 2016年4月3日
ですが、私は今の段階では「これでいい」と思います。
なぜなら、まだどちらの活動も以下の「広報活動が成果を収める」ステップの第一段階だからです。
- 大きく声をあげる
- 注目が集まったところで「ターゲットの名前」と「して欲しいこと」を明確に含めて発言する
- 衆人環視になったターゲットが何らかのアクションを取る
ただでさえ発言量の少ない少数派は、
「ここにいるんだ!」
「私達とコミュニケーションすることは、楽しいよ!」
「だからもっと関心を持って!」
という所から初めるしか無いと思います。欲張らなくていい。
正しい情報で狙い撃ちするのは次の段階です。
もちろん充分に集まったところで要望をきっちり伝えないと「誰かがきっと何とかするだろう」という傍観者効果が現れるため、タイミングと音頭とりはとても重要ですが。
色々試してみましょう!
※発達障害の不注意特定の対象方法について来未炳吾さんが記載された記事も、当ブログのヴィパッサナー瞑想記事とコラボして反響を得ました。ぜひご覧ください!