ヒグコハ

子供と一緒に遊び、瞑想。

子供と遊ぶことを真剣に考えた

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引越しで子供と遊ぶ機会が増えた途端に、悩むことが増えました。

子供と遊ぶという行為には

  • 楽しませる
  • 学ばせる

の大きく2つの要素があります。

時間が無いと遊ぶだけで精一杯ですが、
保育園や幼稚園に通っていない場合
親が子供の発達段階に合わせた適切な学びを遊びに加えなければなりません。

具体的には義務教育を受ける環境に馴染めるようにするための社会ルールやコミュニケーションスキルを子供に与えてあげる必要があります。

子供は勝手に育つから、難しく考える必要は無いというのは大昔の話。

学校教育の期間が限られていること、社会からは新人へも専門的な即戦力となるスキルを求める風潮がドンドン加速しています。

しかも、労働環境の改善はなかなか進まず一方的に企業が労働者を酷使する企業がまかり通る国、日本。

社会という集団に馴染むことが遅れれば遅れる程、準備期間の不足から不利な選択を強いられ、それを覆すチャンスを手に入れることが難しくなるでしょう。

ある程度肩の力を抜かないと育児なんてやっていられないのは当然ですが、こういう残酷な事実も親としては認識しています。

その上で「遊ぶ」ということに改めて向き合うととても難しいなあと。

子供の身体、精神的な発達段階を正しく知った上で出来ること、出来ないことを判断し、順番に社会性や自分の心への向き合い方を遊びを通して教えなければならない。

しかも、子供を楽しませないといけない。

これを大勢の子供に対し、しかも人手不足の中で低賃金で実施している保育士の方のスキルはもっと高く見積もられるべきだと改めて思うのです。

それでも子供を育てる環境に社会がお金を回さないのは、よっぽど現代の子育てに求められている中身を知らないか、本気で未来世代がどうなってもいいと考えているのか。

企業としては従業員をどこから雇っても働いてくれればいいわけで。

人だって重要な資源なんだけどなあ。

もっと大事にしてほしいなあ、と思う今日この頃でした。