引っ越し前から読もう読もうと思いなかなか読めなかった『龍樹と、語れ!―『方便心論』の言語戦略』。
当時の論理学の学派と問答を行い、仏教の歴史に大きな影響を与えた龍樹の論法について知ることが出来る一冊です。
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目次
- 石飛先生のお話がとても面白かったので
- 論争せずに仏教が他学派に仏教を説くには?
- 「話し合うための論法」を立てる
- 無駄な言い争いが発生する議論を排除する
- 主張を通すための論議ではなく、受け入れられない主張を拒否するための論議
- まとめ
石飛先生のお話がとても面白かったので
先日、著者の石飛先生と直接お話しする機会がありました。
経典でのブッダの説法と関連する当時の他の宗教の関連など、いろいろ面白いお話を聞かせて頂きました。
サイトの方も拝見させていただいたのですが、お人柄そのままでお話しすることがとても上手で、好きなんだなというのが良く分かります。
そんな方の本が積読となっていました(汗
「早くこちらを読んで他の本も読まねば・・・」と奮起した結果の第一弾レビューとなります。ひいい。
論争せずに仏教が他学派に仏教を説くには?
龍樹という方は2世紀にインドで活躍した仏教史上でとても有名なお坊さんの1人です。
よく目にするのが
- 大乗仏教全般に多大な影響を与え、「八宗の祖師」として称えられている
- 『中論』を記し、「空」の理論を大成させた
という記述でしょうか。
「空」の理論の説明などはWikiを参照していただくこととして*1、この本で説明されているのは石飛先生が龍樹の著作とされている『方便心論』です。
『方便心論』は、仏教が「自己ならざるもの(アナートマン、無我)」を説くことを、仏教内外に明らかにし、それを論理的に証明した最初の書である
とされている一方で、『方便心論』では『チャラカ・サンヒター』と呼ばれる当時の医学書に関連の深い記述がみられ、さらに『方便心論』を受けて『チャラカ・サンヒター』の著者と関わりの深い学派から『方便心論』への反論が書かれています。
ここだけ見ると『方便心論』の中身は『チャラカ・サンヒター』へ何らかの主張をし、論争が発生したのではないかと思われますが・・・
仏教的には言い争いをするための論争を仕掛けることはできません。
それはブッダが経典の中で禁じているからです。
最初期に編纂されたブッダの教えが書かれた『スッタニパータ』*2にも明確に
論争してはならない
と記されています。
ではどうやって、「論争するな」という教えを守りつつ、また相手の名誉を傷つけることなく龍樹は「自己ならざるもの」という仏教の教えを相手に伝えたのか。
ここがこの本のポイントとなってきます。
「話し合うための論法」を立てる
論争せず、相手の名誉も傷つけることもせずに相手と対話するために龍樹が『方便心論』で行ったことは何かというと
「話し合うための論法」を提示すること。
つまり論議する上のルールを提示することでした。
提示した論法の前提は3つ。
- 勝敗・利養(=実質的な利得。また、利をむさぼり、私腹を肥やすこと。)・名誉のために使わない
- 正邪(=正しい、正しくない)を決めるのではなく、善悪(=ここでは世俗の真理、世俗諦)を知るためのもの
- 正しい仏法を広めるためのもの
この前提を元に、当時の部派仏教、また『チャラカ・サンヒター』の論証形式も説明していくのですがそこは割愛。
論法の詳細まではここでは記しきれませんが、『方便心論』で説明された論法が目的を達成するためにとった戦略について概要を記します。
無駄な言い争いが発生する議論を排除する
多くの人に論を開示するにも思想を展開するにも論法は必要です。
なので、論法としてはブッダが用いた「説得のための論法」を説きました。
それでも無駄な言い争いが発生するケースが残ります。
詳細は当初の詳細*3を読んで頂きたいですが
相手の主張を否定しようとして発言した内容が否定ではなく「相手側に証明すべきことの提示」になるケースなどが当てはまります。
ではどうしたかというと、2つの事柄を行いました。
『方便心論』が行ったことがらは、二つある。
一つは、論法にかんする問題である。ふつうの場合、議論を支えるのは論法である。だから、論法をもつならば、戯論*4はかならず生まれてくる。
(中略)
ちょっと拍子抜けしてしまうのだが、ブッダは、論法を出さないのである。言いかえると、論法を捨てるのである。
1つ目は話す手段そのものを捨ててしまうことで無駄な言い争いを避けること。
もう一つ、戯論を断つ方法がある。それは「ある」という見解に対して「ない」ということを証明して見せることである。これは、一つのことばを受け取るのを拒否することである。
2つ目は見解を否定すること。
その際に「ある」という見解に対して「ない」という立場をとると言い争いになってしまうため、最終的には『中論』による中道という論理を取らなければなりません。
そこで、出てくるのが、龍樹の『中論』なのである。この書は「ある」「ない」という道によらない論理を説くのである。それは、中道という論理である。
主張を通すための論議ではなく、受け入れられない主張を拒否するための論議
論を捨ててしまう、という点からもこの論法は主張を通すための論法ではありません。
むしろ、受け入れられない主張を拒否するための論法と言えます。
論議というとお互いの主張をぶつけ合い、いずれが正しいかを通すために相手の弱い点をひたすら突くという従来のイメージとは全く違います。
龍樹論法は、苦しみをぬくための論法である
とも記されていますが、
相手のために、
相手が安心して納得できるように、
相手が納得できる前提がなければ論をすっと下げることもできる論法。
このような論理の使い方というのがあるのか、ということを知ることが出来ました。
まとめ
この本では龍樹の論法の詳細はかなり省かれていて、別の同じ著者の本に詳しく記されているため立ち位置的には「方便心論を通しての龍樹論法の紹介書」にあたるのかもしれません。
今度、どの順で読めばいいのかは直接お聞きしておきますw
とっかかりがこの本となってしまいましたが、このような平和的な論の進め方というのがあることを知れただけでも大きな意味がありました。
残りの石飛先生の著作についても、徐々に読み進めていきたいと思います。
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