とは言え、あまり深くまでは当時は哲学を理解していませんでしたし、今も理解出来ているとは思えません。
一番の収穫は考えるための材料となる単語が増えたことでした。存在、実在、観念、唯心、唯物、善悪や幸福についての複数の定義…
無意識に言葉にする前に決めつけていたことが、実は多様な前提の元に成り立っていて、前提の一つを再検討し、変更することで世界の見方が全く変わってしまう。
過去の哲学者の思索を元に何度も世界の再構築を体験することは、当時の私にとって何よりも刺激的でした。
とはいえ、真剣さがあったとはとても言えません。
あくまでも新しい刺激が欲しくて、その刺激が哲学という形をとっていただけ。
根本的な所で、小説を読んだりゲームで遊んだりするのと何も変わりませんでした。
世界を組み立てる、という遊びです。
快楽に夢中になっていると、人間の心は知らず知らずに自分の本心を誤魔化し始めます。
これだけ夢中なのだから、何か理由があるはずだ、と。
本当は逆でなければならないところで、理由があるから真剣に取り組むもの。
これでは酒好きが後付けで酒を飲むための理由をくっつけるのと何も変わりません。
ですが当時の愚かな私はそのまま大学に行き、哲学を専攻することを選びました。
その先で、大きなしっぺ返しを食らうことになることも知らずに・・・