そんなわけでとにかく高校時代は感覚と思考を一致させることが出来ずに悶々としていました。
思考と自己、感覚と自己、それらの区別も整理もろくに出来ていない状態で考えても元が混乱しているので何も分かるわけがないのですが、それでも考えるしか道は無いという強迫観念に駆られていました。
とても辛かったですが、根がお馬鹿かつ適当な所があるので最後の最後には全部ぶん投げて関係ないことに手を出せたのが救いでしょうか。
まあ前進には繋がらないのですが…
今であればインターネットで同じような悩みを持つ人に相談したり、手軽に調べたりも出来たのでしょうが、当時はインターネット自体にアクセス出来ず、冥想のようなテクニックを知る機会にも恵まれなかったためにただただ本を読んで、それを頼りに思考をフル回転させるしか思いつく手段はありませんでした。
ある意味、自分で悩みを大量生産しているようなものでしたが、気づく余地などまるで無く。
そんな中で哲学という「考えることを考える」学問があることを知りました。高校の選択教科で偶然出会ったようなものですが、思考の迷路に陥っていた当時はその内容はとてつもなく輝いて見えました。
ひょっとすると、思考を徹底的に整理していくことでこのこんがらがった糸のような再現のないループから逃れられるのではないだろうか。
その先に、幸福があるのではないだろうか。
天からぶら下がっている蜘蛛の糸を眺めるような気持ちで、勉強し始めました。