ヴィパッサナー瞑想と優れているスポーツマンの精神状態って何が違う?
決定的なスポーツマンとヴィパッサナー瞑想の相違点を著書「怒らないこと」で有名なスマナサーラ長老の問答をお借りして異なる点をズバリ説明します。
今回の記事のインプレッションはid:Ukeyさんの記事から受けております。ありがとうございます!
どちらも集中してます。目的が一番の違い!
結構、説法や瞑想会にいくと良く出てくる質問でして、私も舞踊の先生が同じ質問をされているのを聞いていたことがあります。
同じヴィパッサナー瞑想を指導されているスマナサーラ長老も以前このような回答をされていたようです。チエリさんのブログ記事から拝借させていただきましたm(_ _)m
thierrybuddhist.hatenablog.com
引用すると・・・
答えのポイントまとめ
確かに、一般社会にもヴィパッサナー瞑想と同じような境地はある
でもそれは、「自分の仕事を失敗無くやろうとする集中力」、そこまで止まりである
集中力をつけて成功したい、が、それを邪魔するのは「自我」つまり自分自身だ
そこで「自我とは何か?」を調べる。その方法が瞑想である
ということです。
ちょっと上だけですと3が分かりにくいかもしれないので補足します。
音楽家が素晴らしい演奏をしようとしているときに、「客があんまり理解していないなぁ」とおもうとアウト。
「私」と言う気持ちが入った途端、壊れる。そこでこの「私」とは何かと調べる。すると、私たちがダメになる錯覚であると発覚する。
ここですね。
以降は私が長老の説法を解釈した中身になります。
- 音楽家は素晴らしい演奏をするなら「その対象」だけを見ていればいい。
- 全体の理(その対象を成り立たせている条件、存在など)を把握する必要は無い。
- なので「自我」(上の例では「客があんまり理解していないなぁ」という思考、妄想)はただの邪魔者である。
- この「自我」も調べ、全体の理を確認するまで続けるのが瞑想。
ということが仰りたいのだと思います。
別な言い方で言い換えますと・・・「範囲が違う」でしょう。
- スポーツ選手の集中力や行動・性格の変化は「仕事の質の向上」という範囲に留まります。また、集中力で改善される範囲も必然的にそこに留まります。
- 瞑想はその範囲制限がありません。
もちろんイチロー選手は凄い選手です。ただ集中力の範囲が違うというだけの話です。
まとめ
一流スポーツマンの心理状態は瞑想とほぼ同じ「集中の境地」に達していると思います!
一流スポーツマンではないので断言できませんが!
ただ、仕事に特化しているか、全てに対して向けるかが「スポーツマンの集中」と「瞑想」の一番の違いです。
以上、ありがとうございました!
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