九段下駅でベビーカーが挟まれたまま地下鉄が出発しベビーカーが大破しました。幸い親子共々無事でしたが、思い込みの恐ろしさを実感するこんな比較を行いました。
こちら、ほぼ速報に近いニュースが流れた時のTwitterのタイムラインです。
で、こちらは詳細な状況が加えられ、分析された記事へのTwitterのタイムラインです。
赤すぐみんなの体験記では、すぐに以下のような記事が書かれました
九段下駅でベビーカー挟まれる。ベビーカーに対する世の中の反応に、2児の母が考えた - 赤すぐnet 妊娠・出産・育児 みんなの体験記
「駆け込み乗車でしょ」「子どもが載っていないなら、畳めよ」的な、乗客に落ち度があるような文章があった(もちろん、擁護するコメントもあったけれど)。
上記を皮切りに、責められることのつらさ、また相互の立場を想像してみることの提案(もちろん、こちらも重要ですが)が書かれているが、私の感想はちょっと違いました。
人間は詳細な情報が足りないほど、自分の中のステレオタイプで反応する
あからさまに「駆け込みではない」ことが分かった後のTwitterの反応が冷静です。
親子への責めるコメントが抑えられ、勤務上の連携・訓練体制や設備の問題にフォーカスが当てられています。
この現象は
- 大抵の人は詳細な状況や事実をチェックする前にそれぞれが持つステレオタイプで反応する
- 想像することは「読み手」には負担
であることを考慮すると容易に理解できます。
つまり初期の親子に冷ややかな反応は
- 地下鉄の事故は駆け込み乗車が原因で発生することが多い
というステレオタイプが日本にはあり
- 駆け込み乗車かどうか判断する情報が初期のニュースになかったため、ステレオタイプで判断した
ため発生したのです。
想像することは確かに大事ですが、想像する当人には負担です。まして、情報が不足していたら正しく想像することなんて出来っこないのです。
つい最近も待機児童問題で、以下の発言が出てきました。
「子供を集団教育に慣れさせたいから入れる施設である」
「そもそも保育園はお金が無い人が子供を預けて働く場所」
このような発言は圧倒的に情報が不足しているか、悪意をもって意図的に発言しているかのいずれかです。
このようなステレオタイプしか持たない人に「想像して」もらってもろくなアウトプットしか出てこないことは残念ながら目に見えています。
正しく詳細な情報と、継続した広報の大切さ
幸い、現在は誰でも情報を発信できる時代になりました。
今回あった「ベビーカーは畳めよ」という意見には、出来る状況・出来ない状況の詳細な説明をして理解を訴えることもできますし、「抱っこ紐があるだろう」という意見には実際に動き回る子供を抱っこして移動することがどれだけの負担であるかを提示してあげることも出来ます。
微力ですが今後も継続してブログを書くことで私は上記に貢献します。
ちなみに私は男性ですが、1歳児でも1時間抱っこ紐で負ぶっていると首と肩に相当の負担がきます。出来なくはないですが、帰って誰も家事・育児のサポートが無い状況では決して最優先で選びたくない方法です。
自分達が倒れたら、誰も子供を見ることが出来ない・見てくれないという不安感。
特に親族のサポートなしで子育てしているパパ・ママのこの不安感をもっともっと詳細に、情報がほとんど無い人達にも伝えなければならないのではと思います。
最後に
保育は「子ども見てればいいだけでしょ」福祉は
— ねぎう (@negiu) 2016年3月29日
「寝たきりの人見てればいいだけでしょ」ぐらいの
相当、生ぬるい環境だとマジで思ってそうなので
実際の現場の過酷さを味わえる職業体験型テーマパーク、
オッサニアを作ると良いかもしれない。
誰か作ってくれませんかね。オッサニア!