ヒグコハ

子供と一緒に遊び、瞑想。

人の記憶がない幼少期

まずは生い立ちから。

北海道生まれ北海道育ち。

北海道随一の大都会である札幌で育ち、大学に進学するまで家族と一緒に過ごしました。

家族は両親と、兄弟は妹が一人。

直ぐ近くには母方の祖父母が住んでいました。

札幌には藻岩山というランドマーク的な存在の山があり、市全体は藻岩山を左下に置いてその右を北西の日本海側に流れていく豊平川に沿って北に広がっています。

実際は南側にも広がっているのですが、山々が多く、どこからが人の住処でどこからが原生林なのかイマイチ分からない所があり。

そして、私の家はそんな南側にありました。

何年か前に羆がうっかり迷い込んでニュースになっていましたが、同じ南区から近くに転校してきた友達は校庭を羆が散歩していたので校舎の屋上に避難したことがある、比較的札幌の中でもワイルドな土地柄です。

冬になれば雪が降り、ほぼ無音の世界で好きなだけ独りで過ごすこともでき。

祖父は小さな会社の社長で、比較的羽振りも良かったことからそれなりに孫としても甘やかされ色んなものを買ってもらえましたし。

父は普通のサラリーマンでしたので、物凄く裕福なわけではありませんでしたが、環境的にはお坊っちゃんの部類に属したのかな、と思います。

勉強のように、ルールに従ってただ処理する能力だけは当時から高かったのですが近所の子供達の中では折り合いが悪く、まともにちょっかいをかけられずに遊べるようになったのは小学校3年生にスポーツサークルに所属するようになってから。

それまでに軽くコミュニケーション能力の習得を拗らせてしまった感があります。

結果として無意識的に人に興味を持たないようになってしまったのか、小学校から中学校にかけての記憶がかなり曖昧で、特にクラスメイトに関わる記憶が数えるほどしかなく、今でも当時の友人と話す際は難儀します。

そんな子が高校から哲学に興味を持ち始めました。