ヒグコハ

子供と一緒に遊び、瞑想。

「あぶり出し型脳」を読んで~理解の遅延は克服できないのか?

f:id:ri-nyo:20170505092202j:plain

(2017/5/6 9:00 加筆修正有)

その場では全く手に負えず、ひたすら悩み続けているだけなのにしばらく時間が経つと急に、自分のしたこと、その時の周りの環境、最善手が見えてくる。

理解が遅れてやってくる感覚ということで、興味深い記事を読みました。

【前編】社会は「あぶり出し型脳」を受け入れられるのか、その予感と考察――発達障害の私が気づいた定型と非定型の根本的違い - HyogoKurumi.Scribble

【後編】社会は「あぶり出し型脳」を受け入れられるのか、その予感と考察――発達障害の私が気づいた定型と非定型の根本的違い - HyogoKurumi.Scribble

「あぶり出し型脳」という単語は時間をかけて、少しずつイメージが湧き上がってくる様をとても良く表現しているのではないでしょうか。

さて、今回記事を書いてみたのは「理解の遅延」の対策案として、いくつかお役に立てる可能性があるためです。

まずは想定される原因を整理の上、対策案の仮説に納得がいくようでしたらお試しあれ。

スポンサーリンク

 

目次

原因があるなら対処療法も根本治療も存在する

来未さんの記事で記載されている理解の遅延とは下の図のBに該当する部分、

平たく言うと「思考に一定以上の時間が常にかかる」ことを指します。

f:id:hyogokurumi:20170414193214p:plain

Bでどうしても時間がかかってしまうこの問題。

来未さんが示された対処療法である程度緩和させることは可能です。

それは「あらかじめ準備をして、結論を出しておくこと」

要するに、Bのプロセスを発生させないことです。

ただし、これは

  • 流れ作業
  • マニュアルがきっちりと決まっている職場
  • 質問者側が模範解答をすることを求めている面接

など、ある程度対処すべき事例が限られていて、かつ正しい反応も決まっている場合に限られます。

理由としては、対処すべき事例としての前提が少しでも変化してしまうと、現在の状況に合わせて適切な行動を考える必要があるためです。

そのため車の運転のように、決まったパターンが存在せず、常に新しい情報を取得し、短時間で判断しなければならないことが連続する作業には適用できません。

(2017/5/6 車の運転は反射動作(つまりA→C直結)での習得が比較的しやすく、実際に運転が出来ているとのコメントを頂きました。例として適切ではなかったこと、また「決まったパターンが無い」ことの説明が漏れていたため、修正いたしました)

作業内容が完全に固定されている環境というのは現実社会では限定されていますし、全てを事前に対処しようとすると実際には起こりえない事例まで細かく検討しなければなりません。

万全を求め、かつ一切のマニュアルからの逸脱が許されないのでない分野でない限りはちょっと労力に見合わない作業となってしまいます。

では、諦めるしかないのでしょうか?

根本治療は出来ないのでしょうか?

以下は来未さんの記事から抜粋した内容ですが、「克服できない」としている理由を整理してみたいと思います(太字は当サイトで加工しました)

これは、ケアレスミスやコミュ障特徴のように、表層部分の特徴ではなくそれらの症状を引き起こしているシステムの根にあたる部分であり、物事の認識そのものにあたる部分なので、克服ができないということなんです。そもそも自分では認識できない領域の特徴であり、克服しようとどれだけ考えたところで、仮に新しい概念や思考回路を構築できたとしても、それもあぶり出し型脳のシステムの中でしか機能しないというわけです。

この文書を読んで直後、

理解の遅延が発生するシステムで考えているから、克服が出来ない」

というのは因果関係が成り立たないのでは?という感想を持ちました。

本来成り立たない結論が生じているのは、隠れている前提があるからです。

上の引用文には、以下の固定概念が含まれているのではないでしょうか?

  • 物事の理解とは「概念」「思考回路」によって行われる
  • 「概念」「思考回路」はその他の精神活動や外部(認識システム)と独立している

この固定概念があるがゆえに

  • 我々は「概念」「思考回路」でしか理解できない
  • 「概念」「思考回路」はその他の精神活動や外部(認識システム)と独立している
  • よって、システムを認識から改善することはできず、克服ができない

の結論に帰着してしまっているのではないでしょうか?

であれば、まずは前提とされている固定概念を否定出来るか確認してみましょう。

否定できれば、根本治療への可能性が開けます。

何故あるのか、順に問いを投げかけて確認してみましょう。

認識システムは変化しないのか?

これは、ケアレスミスやコミュ障特徴のように、表層部分の特徴ではなくそれらの症状を引き起こしているシステムの根にあたる部分であり、物事の認識そのものにあたる部分なので、克服ができないということなんです。そもそも自分では認識できない領域の特徴であり、克服しようとどれだけ考えたところで、仮に新しい概念や思考回路を構築できたとしても、それもあぶり出し型脳のシステムの中でしか機能しないというわけです。

もう一度引用しましたが、この文章には疑問点が2つあります。

  • 構築した概念、思考回路だけが認識であり、それ以外は認識できないのか?
  • 新しく構築した概念、思考回路からのフィードバックは考慮に入れないのか?
問1:構築した概念、思考回路だけが認識であり、それ以外は認識できないのか?

認識システムそのもの全てをそのままの姿で認識できない、というのであれば成り立ちます。

ただ、言語化された理解は概念、思考回路で成り立っているかもしれませんが認識は概念、思考回路だけではありません。

この後説明しますが、もっと反射に近いレベルの認識もあり、純粋に反射といえるレベルの認識もあり、そのような認識が境界線の無い状態で構築されています。

問2:新しく構築した概念、思考回路からのフィードバックは考慮に入れないのか?

概念、思考回路が変わることを新しい認識へのアプローチ方法を知ることと置き換えるならば、十分に概念、思考回路を起点として認識システムの変容は起こり得ることです。

新しく取得した概念に基づき、理解のプロセスを再確認することは新しい理解を生みます。

新しい理解は、反射に近いレベルの認識を徐々にですが変容させていきます。

長い期間で観察すると、最終的に現在と全く違う精神状態にたどり着くこともありえます。

よく「三つ子の魂百まで」と呼ばれますが、イギリス心理学会で63年前(!)から調査された14歳と77歳の同一人物に同一のアンケートを取り、その傾向を調べた研究があります。

研究では同じアンケートの回答結果はほとんど得られず、長い期間を経ると人は全く異なる性格になることが分かっています。

調査した要素としては自信・根気・気分の安定性・独創性・誠実さ・学習意欲など。

性格が身体的な特徴、精神的な器質、生活環境などが統合されて現れるその人自身の精神活動を表しているとしたら、その一部である認識活動も変化しうると取るべきではないでしょうか。

digest.bps.org.uk

以上の可能性をさらに検証するために、一旦認識と理解について、より丁寧に考察してみましょう。

まずは原因を洗い出すために、理解・認識とは何かを整理しよう

そもそもなぜ理解の遅延が起こるのか。

理解の遅延を理解するには、まず理解とはどのような働きなのかを詳しく確認しないことには分析もできません。

なのでまず、理解とは何かを整理してみましょう。

以下便宜上、当記事ではこのように理解と認識を定義します。

  • 理解:言語・明晰なイメージによって認識すること
  • 認識:全ての精神活動(理解、感情の変化、感覚器からの知覚など)

認識のプロセスはおおむね、以下です。

  • ① 一定の感覚を受け止める
  • ② 受け止めた感覚から意味を作り出す
  • ③ 作り出した意味から影響を受ける
  • ④ その影響を「受けたまま」次の①~③を行う(以下、ループと呼びます)
  • ⑤ ループを通して理解を作り出す 

上記の認識のプロセスには①~③のように言語化された思考とはいえないものも含まれています。

道を歩いていて突如背後で車のクラクションが鳴った時に「音が鳴った」「この音は車のクラクションだ」「すぐ後ろだ」「危険かもしれない」と言語化して考える人はほとんどいないはずです。

まず道の端に寄るか、振り向いて確認するかしますね。

ですが、これも「認識」しています。

言葉でいちいち呟いてはいませんが「音が鳴った」「この音は車のクラクションだ」「すぐ後ろだ」「危険かもしれない」までの反応を高速で行っています

そして、思考はその結果生み出された⑤の部分をつなぎ合わせたものに過ぎません。

思考している時の罠として、このような言語化できないレベルの反応を見落としている可能性があります。

つまり、本人は結論に向けて一直線に、冷静に考えているつもりでも、

  • 言語化できないレベルで反応が働いていて結論に到達するのを妨害している
  • 特定の経験・思想に基づく偏った意味を思考の中に加えている

これらの可能性は十分にありえるということです。

そして、思考として言語化されていない状態は発生しているかもしれませんが、寝ているのでも無い限り認識を継続しているのが精神です。

例えば、考え事をしている最中に全く別な事に思考が移ってしまったのなら、ループの最中に結論に必要の無い感覚に意識が向き、それをベースにループを行う状態に移っているはずです。

ボーッとしてしまったのであれば、感覚が入ってきても「無意味だ、価値がない」という判断を無意識で下し、さらにその感覚に特に注意も払わず別な行動を起こす意欲もない精神状態を作り出しています。

迷っているのであれば特定の理解に至った後、理解を否定して、再度ループを繰り返しています。

そして繰り返しになりますが、これらのトラブルが発生している状態を全て意識下に置いているとは限らないのが人間です。

ここまで説明した認識と理解の構造について再度おさらいしてみましょう。

  • 認識のプロセスは感覚から意味を受け取り、その影響を受けるループの繰り返し
  • 特定の意味を作り出すことが出来なくとも、認識のプロセスが停止するというのはない
  • 認識のプロセスは全て言語化されている(理解している)とも、意識下におかれているとも限らない

以上を踏まえた上で、理解が遅延する状況を詳しく確認してみましょう。

「スルー」が状況を悪化させる

まず「あぶり出し脳」であっても何らかの結論を見出せたということは、様々な情報を元に最終的な結論を出せるだけの認識のプロセスを回す能力は十分にあるということです。

問題となっているのはそれがいつ終わるかだけ。

なので、情報を得た後の認識のプロセスにトラブルが発生していると考えるべきでしょう。

再三、記事の引用を提示します。

これは、ケアレスミスやコミュ障特徴のように、表層部分の特徴ではなくそれらの症状を引き起こしているシステムの根にあたる部分であり、物事の認識そのものにあたる部分なので、克服ができないということなんです。そもそも自分では認識できない領域の特徴であり、克服しようとどれだけ考えたところで、仮に新しい概念や思考回路を構築できたとしても、それもあぶり出し型脳のシステムの中でしか機能しないというわけです。

私の上記への疑問点は以下でした。

  •  構築した概念、思考回路だけが認識であり、それ以外は認識できないのか?
  •  新しく構築した概念、思考回路からのフィードバックは考慮に入れないのか?

そして、前章で確認した認識と理解の構造は以下でした。

  • 認識のプロセスは感覚から意味を受け取り、その影響を受けるループの繰り返し
  • 特定の意味を作り出すことが出来なくとも、認識のプロセスが停止するというのはない
  • 認識のプロセスは全て言語化されている(理解している)とも、意識下におかれているとも限らない

以上を踏まえ、理解の遅延が発生している原因として可能性の高いトラブルは以下となります。

  • 情報を得るために必要な感覚以外に意識が向いてしまう
  • 認識に注意を払えない精神状態になってしまう
  • 上記の2つを、スルーしてしまう

この3つのトラブルのうち、最も重要視すべきは「スルーしてしまう」です。

認識できないものは認識しようがありません。

人間なので、強い刺激が入れば別の感覚に意識が逸れてしまうこともありますし、体調が悪ければ精神状態が悪化することもやむをえません。

ですが、見るべき・考えるべき対象から意識が逸れたこと、考えようとしてもうまく考えがまとまらない「精神状態になったこと」は即座に確認して、軌道修正しないとどんどん理解の完成が遠のいていきます。

さらにタチの悪いことに、スルーすることによって精神状態はより悪化します。 

以下のループに陥ったことのない人は、ほぼ誰もいないのではないでしょうか? 

 理解するべき対象から意識が逸れる

 ⇒理解したい対象以外の情報が入ってくる

 ⇒興味がないので認識に注意を払えない

 ⇒意識が散漫になり、落ち着かなくなる

 ⇒より理解するべき対象から意識が逸れていく

 ⇒うっかり今の情報と関係ない過去の記憶と考えるべきことをつなぎ合わせてしまう

 ⇒今の状況と関係ない精神状態(強い怒り、悲しみ、無気力感、別の何かへの欲)へ変わってしまう

 ⇒変わった精神状態を満たすために、もう今の情報とは関係ない過去の記憶をあさり始める

 ⇒(もう全然関係ないことを考え始める・・・)

ほんの少しのスルーが、加速度的に状況を悪化させます。

なので、とても大切なことはたった1つ

  • 情報を得るために必要な感覚以外に意識が向いてしまった
  • 認識に注意を払えない精神状態になってしまった

この状態になった時に「気づく」クセを付けることです。

自分が何を認識しているかを把握し、コントロールできる人ほど作業効率が良いのではないか

実際のところ、大抵の人は「スルーしている」思考プロセスがいくつも走っている状態で日常生活を送っているのが普通かと思います。

「何かが心の中に残り続けている」状態、というのが経験上一番合っている表現のような気がします。

気持ちが落ち込んでいる時は直前の出来事をリフレインするかのように引きずっていたり、浮ついている時は自分に好ましい出来事を反芻していたり・・・

例えるならコンピューターでいうところの「バックグラウンド処理」(見えないところでデータを処理している状態)です。

ですが私や妻も含めて、非定型発達の傾向にある人間はこの「バックグラウンド処理」に気付いていなかったり、気づいていても強制終了させることが非常に苦手なように思われます。

f:id:ri-nyo:20170505124706p:plain

切りかえたくとも意識を対象から引きはがすことが難しい、無理に切り替えても集中しきれないということは、一部の思考がコントロールできていない、反射に近い形で制御困難になっているということを意味します。

さらに、それらの思考が半ば反射に近い形で進んでいるにも関わらず「自律的に思考している」と誤解していることもままあります。

 

逆に作業効率のいい人を見ていると、この「バックグラウンド処理」を認識し、強制終了させることがとても上手な方が多いように思われます。

f:id:ri-nyo:20170505122348p:plain

直前まで全く別の話をしていても、すぐに新しい話に全ての意識を集中できているため、他の人が見落としがちな点もその場で的確に指摘してきます。

そして一段落すると、また元の作業にスムーズに戻れています。

この2者の違いは、以下だけです。

  • 認識プロセスを自律的に継続している感覚をもっているか
  • その上で現在は不要な認識が発生した時に切りかえるコツを身に付けているか

切りかえるコツは、まず認識プロセスを自律的に継続しているのか、それとも反射に近い形で認識しているのかをしっかりと認識できるようになった上でないとそもそも身に付けることができません(と、いうか理解できません)

なのでまず、今の認識プロセスの状態を認識する能力を鍛えましょう、というのが私からの提案です。

以前、来未さんの記事で不注意特性の解消のための以下の「感覚の作り方」の記事があり言及させていただいた経緯があります。 

hyogokurumi.hatenablog.com

前回は1つ1つの作業を細かく区切ることで「注意の感覚がより細分化できること」を確認し、その細分化された感覚を身に付けることを目標としていました。

今回は「ただただ観察し続けること」で自分自身の精神状態の変化、また普段注意してみていない反応や細かな動きがどれだけ発生しているかに気付くきっかけとなる「心の観察」を紹介させていただきます。 

 

実際に認識プロセスの状態を認識する能力を鍛えなさい、といっても

「自分が自律的に行っていると考えている思考が、どれほど反射的なコントロール出来ない要因に左右されているか」

を実感しないことには意欲も湧きにくいかと思いますので。

心の観察の手順

今まで反射的に行っていた認識プロセスを認識できるようにすることで、以下の順序で理解の遅延が解消する可能性があります。

  • 感覚が発生した時に、どれだけ反射的な行動を行っているか自覚的になる
  • 自覚的な時間が増えることで自律的に認識を観察できる時間が伸び、結果、思考が長引く要因や、パターンを発見できるようになる
  • 繰り返し、思考が長引く要因や、パターンを確認することで「反射にはまっている」自分に気が付くようになる
  • 「反射にはまっている」状態が分かることで、反射で大半が占められている状態と自律的な思考状態を区別できるようになる
  • 反射にはまるパターンを回避するコツや、反射にはまってから早く抜け出すコツがわかってくる
  • 反射的な思考が減り、精神的な負担や考える時間の短縮につながる

今回紹介する手順は上記の第一歩「 感覚が発生した時に、どれだけ反射的な行動を行っているか自覚的になる」方法です。

1.まず心をリラックスさせる

不必要なプレッシャーは少なくとも2つの面で良くない精神傾向を強化する可能性があります。

  • 今の状況や力量を顧みず、とにかく「自分の望む」良い結果を得ようとする病的な執着心を強化します
  • 結果だけを早く求めて、正しいプロセスを着実に実践することを軽んじる怠け心が発生しやすくなります

こう書くと「そんなことはない、良いプレッシャーだってあるはずだ」とおっしゃる方もいるかと思いますが

 ・正しく自分の置かれた状況を理解し、そこから導き出される「自他共に善い」状態を目指す

 ・「自他共に善い」状態に至るための正しいプロセスを着実に実行しようと奮起する(決意、ともいいます)

この2つを満たしている時の精神状態は上の「プレッシャーをかけている」精神状態とまるで違う明るさ、軽やかさがあるはずです。ちょっと思い起こしてみてください。

前向きに、着実に進んでいける気力が戻ってきたところで初めましょう。

2.45分間、可能な限り「生の感覚」、今この瞬間の出来事を把握することに専念し、それ以外のことは決してしないと決意する

儀式のように感じる方もいるかもしれませんが、

いい加減に初めて、いい加減に終わって言い訳ができる状態での実感と

真剣に初めて、それでも出来なかった、という実感は天と地ほどの差があります。

せっかくの45分です。無駄にしない方が良いと思います。

3.「生の感覚」そのままを感じる準備をする

姿勢を正しくします。胡坐をかいても椅子に座ってもいいですが、体の筋肉に無駄な力を入れずに、背骨に頭がバランスよく乗っかっていて落ちない状態が良いです。

そのまま目をつぶって、意図的に動くのを45分間一切停止します

  • もちろん呼吸は別ですが、意識的な呼吸(腹式呼吸)などはやめましょう
  • 姿勢の崩れは酷い場合(微弱な感覚が分からなくなるレベル)は直して良いですが、多少は耐えてください。もちろん痒いからかく、とかいうのはなしです

まだモニョモニョと頭の中に考えが渦巻いているかと思いますが、そのまま鼻で深呼吸して吸うと同時に「吸います」、吐くと同時に「吐きます」と心の中で確認するのを1分ぐらい続けます。

終わったら意図的に深呼吸するのもやめて、自然呼吸に戻します。

4.普段は意識しない、微弱な感覚を感じつづける

呼吸しているので、微弱に腹部が動いているはずです(感じられない場合、最初の姿勢が悪い可能性が高いです。背すじを胸や背中に力をいれず、伸ばせる位置を確認してから始めましょう)

微弱な腹部の「感覚」を感じようとしてください。その際にお腹が膨らむ動きをしていたら「膨らみ」、縮む動きをしていたら「縮み」と一回ずつ確認するように心の中でつぶやいてください。

このつぶやきは微弱な感覚を感じ続けるためのサポートです。

言葉がメインではないので注意してください。あくまでも「感覚」メインに集中しましょう。

やめずにずーっと続けます。45分ぐらい頑張ってみましょう。

 5.時折他の強い刺激や、不注意で意識が逸れたら「確認して」また元の腹部の感覚に意識を戻す

初心者なら途中で確実に意識が全然関係ないところに飛びます。

それどころか、意識が逸れ続けていることにしばらく気が付かないかもしれません。

それでも「逸れた」と気づいたらその対象を心の中で言葉で確認して、また元の腹部の感覚に意識を戻しましょう

確認するときの言葉は対象によりけりですが「主語が自分になる言葉」「推測が少しでも入る言葉」は避け、感覚そのものを表現しましょう。

ダメな例:「痛い」「眠い」(→自分、という概念を追加している)「カラスの鳴き声」(→音だけで「カラス」「鳴いている」という推測をしている)「花の匂い」(→匂いだけで「花」を推測している)

適切な例:「痛み」「眠気」(→痛覚、精神状態そのものなのでok)「音」(→聴覚そのものへの刺激)「匂い」(→嗅覚そのものへの刺激)

6.「45分間頑張る」ではなく、「次の一瞬、この感覚を確実に感じる」ことに集中する

これは最後のアドバイスですが「45分間頑張ろう」とするとほぼ確実に失敗します。

理由は「45分」というのが既に頭の中で作り上げた「時間」という概念であり、実際に今ここにいる「生の感覚」と嚙み合わないためです。

あくまでも今この瞬間の感覚を感じ、次の瞬間にやってくる感覚をしっかりと感じようとしてください。

そして、今の瞬間の感覚を感じることが出来た達成感を少しずつ積み重ねていって下さい。

まずここまでを45分間、タイマーで測ってきっちり成し遂げてみましょう。

どうでしょう?

「自律的な思考」である「膨らみ」「縮み」の心の中での確認はどれぐらい続けられましたか?

「外的な要因によって反射的に発生した意識の逸れ」はどれぐらい発生していましたか?

最初に真剣に決意して初めても、想定以上に意識は逸れるものです。

今回は自律的に認識、コントロールできている部分がどれくらい少ないのか、またコントロールが外れた時に元に戻すのがどれほど難しいのかを実感していただければ十分かと思います。

最後に

理解の前提となっている認識でさえ、自律的に1つのことに集中することも把握することも難しいものです。

ゆえにその上に成り立っている理解はなおさら制御しにくいものです。

ですが、心を観察することを通して

  • 自律的な認識を続ける力
  • 自律的な認識から外れたことに気付き、原因を確認する力
  • 外れた認識をまた本来の対象に戻す力

は少しずつトレーニングしていくことができます。

結果、自覚的な時間が増えることで自律的に認識を観察できる時間が伸び、思考が長引く要因や、パターンを発見できるようになっていきます。

完全に、とは言えませんが、かなり症状を軽減できる可能性は高いと思います。

私は指導者ではないため、このような方法があること、また、ここまでの説明に沿ってトレーニングを進めていこうとするのであれば、ヴィパッサナー瞑想を行うことで結果的に症状も軽減するであろうし、それ以外の良い効果も得られると思いますとだけお伝えするに留めます。

実際、初心者指導を受けたうえで続けていった方が圧倒的に進みが早いと思いますが、どうしても近くで指導を受けられない方向けにいくつか書籍リンクを貼っておきます。

自分を変える気づきの瞑想法【第3版】: ブッダが教える実践ヴィパッサナー瞑想

ブッダの瞑想法: ヴィパッサナー瞑想の理論と実践

とにかく、理解・認識はこういうものだ、という自分の今まで持っている思い込みを一旦捨ててみて、自分の認識プロセスがどう変化しているのか、何によって変化させられているのかをじっくり観察してみてください。

ご不明点がありましたらTwitter(@richirota1)などでお問合せ頂ければ対応できる範囲でお答えいたします。

以上、長文をお読み頂きありがとうございました。

P.S.

来未炳吾さんへ

いくつかお読みした記事を元に、推測を前提にして論を進めている箇所があります。

意図と異なる点等ありましたら、ご指摘いただけると幸いです。

スポンサーリンク