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ヒグコハ

子供と一緒に遊び、瞑想。

ストレス解消法としてのマインドフルネスはディストピアへの切符かもしれない

瞑想

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NHKの「キラーストレス」を再放送で見ています。

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www.nhk.or.jp

再放送組で、まだ第一話の内容しか把握していませんが(2話目の録画を見てない)

1.見えて回避できるストレスから見えず回避しにくいストレスがメインになった

2.大きなストレスよりも、小さなストレスの積み重なりが危険

3.過剰なストレスは心臓発作、大出血、ガンの確率を確実に高める。その因果関係も分かっている

4.運動により延髄の神経細胞が変化し、ストレスの影響を受けにくくなることが判明している

5.マインドフルネスの有効性も分かってきている

こんな内容でした。

最近ストレス、それに対応する方法としての「マインドフルネス」「瞑想」についての記事は人気ですし、私も色々と書いてきました。

ただ、今回の「キラーストレス」は見ていて2つ思ったことがありました。

  • 「ストレスは必要不可欠」という言葉は現代だと害が多い
  • ストレス解消法としてだけ宣伝されるマインドフルネスブームは薄気味悪い

以下「ストレスは必要不可欠」が害が多い理由①~③を説明し、後にストレス解消法としてだけ宣伝されるマインドフルネスブームは薄気味悪い理由を説明します。

「ストレスは必要不可欠」が害が多い理由①:現代の見えず回避しにくいストレスをゼロにするのは不可能だ

大昔は猛獣などの見える危険と戦い、ダメージを最小限に抑えるために必要だったストレス反応。

現代では日々の細かな出来事に対する不満が原因になって発生しています。

不満は心が作り出すもので、直接目に見えず、どんなことからも発生します。

その意味では、どんなに恵まれていても必要最小限のストレスは常に発生しています。

「ストレスは必要不可欠」が害が多い理由②:情報社会になり、ストレスの発生する速度が急激に高まっている

①に加えて、ストレスが発散しにくいのが現代。

番組中でもこのようなグラフが使われていましたが、一回のストレスの大小ではなく、ストレスの積み重なりこそが病気に至る原因であることが説明されていました。

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これだけ小さいストレスが大量に発生する原因は社会活動が「身体を動かすこと」から「言語活動すること」がメインになってきているからであると推測しています

現代において多方面に向けて対面・メール・電話・SNSなどでコミュニケーションを取ることは社会活動の大部分を占めてきています。

100年前と比べて莫大に膨れ上がっていることでしょう。

肉体労働、専門技術職の人間でも一歩仕事を離れればメディアやインターネットを介して友人・家族とコミュニケーションを取るのが当たり前になりつつあります。

人間はよほど訓練されていない限り、外界からの大量の情報をただ流すことは出来ず、反応が発生します。

そして1つ1つの情報に対して自分の見解と合う、合わないで不満=ストレスを発生させます。

これがスマホや携帯の持ち歩きで四六時中発生するのですから、ストレスなんて簡単に蓄積しますし、発散させる暇なんてありません。

よく「ネット断ちするとストレスが減った」という報告がありますが、現代の言語活動の凄まじさを考えると減らない方がおかしいです。

よほど上手に「マインドフルネス」になる方法をトレーニングしているか、生育環境の中で身に着けていない限りストレスはすぐに蓄積されてしまうのが現代人の生活といえるでしょう。

「ストレスは必要不可欠」が害が多い理由③:不正や暴力による苦痛が原因のストレスはない方がいいに決まってる

何か目的があって、そのために自分自身に苦行を強いているのであればそれは本人も納得して苦しんでいるので他者がどうこういうことではありません。

一方、納得していない苦しみは不満=ストレスを生みます。

でも納得できない苦しみって何でしょう?

それは「自分の意にそぐわない苦しみ」ではないでしょうか。

段階的に4つあると思います。

  1. 生老病死など、人間共通でかつ取り除くことが不可能なもの
  2. 天災、戦争、社会的不平等など、多数の人間に影響をあたえかつ取り除くために莫大な労力が必要なもの
  3. 小規模な事故、争い、偏見など、一部の人間に影響をあたえかつ取り除くことに相応の労力が必要なもの
  4. その他、意見の相違など個人の意見の持ち方次第であり、意見が変われば苦しみ自体がなくなるもの

1については基本的に「諦める」しかないですし、4はそれこそ心の持ちようですが、2や3などの不正や暴力などが原因のものについては「努力して減らさなければならない」のでは?

努力して減らせる苦痛を減らさないことは、むしろ「怠惰」として排除すべきことです。

理不尽な適応をせまる危険性を排除するために「ストレスは必要不可欠」という言葉を使いたくない

①、②が生活様式として避けにくい状態になってきていることは事実。

その上で、現在の世界で③が充分に認識され、実践されているかというと私は正直そうは思いません。

まだまだ③についてはちょっと思い出しただけでも問題が山積みです。

保育園問題しかり、雇用問題しかり、貧富の差しかり・・・

ここらへんの原因を細かく確認しないで一足飛びに「ストレスの解消法は~」という点に話が飛ぶのって思考停止しているか、あえて視聴者にその原因について「意識させていない」と思いませんか?

だから「ストレスは必要不可欠」という言葉で内訳を分析しないで終了してしまう考え方を助長したくはないですし、やたら「マインドフルネス」「瞑想」がもてはやされている現代の風潮も「何故そうなっているのか」実践する方にはちゃんと分析して欲しいと思うのです。

ストレス解消法としてのマインドフルネスの薄気味悪さ

最近のマインドフルネスブームで一番薄気味悪いと思っていることは現状受容によるストレス軽減だけが強調されていて、本来の仏教の思想に含まれていた瞑想と同時並行して行わなければならないはずの慈悲の心による布施行の重要性がほとんど取りざたされていないことです。

確かにストレスを感じなくなり、個人として幸せになるのはとても重要なことだと思いますし、そこから瞑想に入るのは全くもって問題ないと思います。

でも慈悲の精神、行動を伴わない、自分だけで完結してしまう瞑想に特化してしまうことで、他人の苦しみを感じたり、想像できなくなってしまうのであればそれは大問題だと思います。

極端な話、慈悲の精神が無ければ

「刃物を持ちました」

「人を刺しました」

と実況中継しつづけることも出来てしまうわけです。

また、1%の人が殆どの富を持ち、残りの99%の人が飢えに苦しんでいたとしても「現状をそのまま認め」てしまえば問題ないことになります。

 怖い。とても怖いです。

大企業がマインドフルネスを進める裏って、少なからず「現状の状況を認めさせる」要素は含んでいることは否定できないと思います。

最後に

ストレスがどんどん溜まる社会になり、その原因については言及することが許されず、しかもそのストレスは「マインドフルネス」などのスキルで自己処理することが「有能な人間」の条件とされ、自然な人間であれば耐え難い行為を要求され、淡々と従う大勢の人間がいる社会をイメージしてみてください。

これ、完全なディストピアじゃないですか?

この方向に進まないよう、慈悲の精神をもって日々生きていきたいものです。 

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