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【精神】今・このタイミングの感覚への集中が日常を改善する!ヴィパッサナー瞑想の「気づき」って?

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「気づき」ってどういうこと?何故効果があるの?

「気付き」とは今・このタイミングの感覚への集中と確認です。この「気付き」が思いがけない効果をもたらすことをご存知ですか?

 

 

瞬間、瞬間の感覚に意識を集中させて確認する

瞬間、瞬間の感覚に意識を集中させて確認することを「気づき」とヴィパッサナー瞑想では呼んでいます。

例として、もう一度以前の記事で取り上げた水を飲む動作 を思い出してみましょう。

例:水を飲むとき

 

コップに手を伸ばす→コップに触れる→コップをつかむ→コップを蛇口の下に移動する→蛇口に手を伸ばす→蛇口に触れる→蛇口をつかむ→蛇口をひねる→水の下にコップを移動する→コップを見る→水が溜まるのを確認する→蛇口をひねって止める→コップを口に近づける→口をあける→水を口に流し込む→飲む・・・

 
この一連の動作を詳しく観察することで現れる
 
最初の感覚、印象だけを確認し、
 
直ぐに現在の集中対象に意識を戻します。
 

感覚、印象を理解しようとしないで、そのまま手放すことがポイント

 
先ほどのコップの例から実際に確認、手放してを繰り返している場合の頭の中はこのようになります。
 
(手が)動いた→(コップに)触れた→(取ってを掴むことで指に)圧力→(コップを)持ち上げた→…
 
となります。
 

推測が入る言葉は極力使わない

 
例として「コップ」と確認するために必要なイメージを考えてみましょう。
少なくとも以下が含まれませんか?
 
  • 液体を汲むことが出来る
  • 人が持ち上げることが出来る
これらの情報は現在の感覚に含まれていません。
 
つまり、「コップ」と確認することは
その時点で自動で、かつ未確認で思考を進めてしまっていることになります。
確認作業をスキップしているため、これではいけません。
 
もっとも確認する言葉を見つけようとして確認が止まってしまっては本末転倒なので、この辺りのさじ加減は工夫が必要です。悩んだら信頼できる指導者に質問してみましょう。
 

何故これが日常生活の改善になるの?

 

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先ほどの詳細に感覚、印象を確認する点に秘密があります。
 
細かく作業を確認することで、無駄な動作が減ることはもちろんですが、無意識の思い込み、心の反応が生み出しているストレスの原因に「気づく」ことでストレスを発生させる反応を和らげたり、無くしたりすることが可能です。
 
以下は私の例になってしまいますが、紹介させてください。
 

 
以前視線恐怖症だった時期がありました。
 
一度他者の視線を意識してしまうと頭の中にその感覚がこびり付き、居ても立ってもいられなくなってしまうのです。
 
重度ではなかったため何とか日常生活は送れていましたが、電車の中で顔がこちらを向いている人がいるだけで苦しくなり、目的地前に電車を降りてしまうことがしょっちゅうありました。
 
その頃のヴィパッサナー瞑想中は他人の顔が見えた瞬間に「目」と確認した直後、即座に目から頭の後ろあたりに圧迫感を感じていたので、「圧迫」と確認を入れていました。
 
もちろん、この段階では圧迫感を感じていることには変わりありません。
 
しかし何度か繰り返しているうちに今まで「苦しみ」であると考えていたことが、
圧迫感なのだ、ただの感覚なのだ、と腹に落ちる瞬間がありました。
 
「圧迫感」から「苦しみ」への自動的な変換が、私の中である程度途切れたのです。
 
さらに続けていくことで、「圧迫」の後に何度か繰り返し、似たような形にならないイメージと感覚がよぎることに気づきました。
 
この時点では正体不明なため「雑念」とだけ確認し集中に戻っていたのですが、
ある時から「失敗」という単語がしっくりくるようになりました。
 
何故こんな単語が出てきたのか、後々気になって思い出そうとしました。
 
 すると思いあたる失敗の記憶が沸き出してきました。
 
大学の部活動の大会準備に手抜かりがあり、部員と顧問全員の前で叱られたこと。
 
学校祭の準備で当日で計画ミスが発覚した時の周囲の反応。
 
舞台で演じていた際に突如セリフを忘れてしまい、ごまかした時の観客の視線。
 
全て「大変だが自分なら出来る」と自己を過大評価し、失敗した時の記憶でした。
 
出来る自分を見せたくて無理をし、失敗した時の記憶でした。
 
瞬間、視線に対し無意識に見栄を張ろうとしている自分と、見透かされることに恐怖している心に気がつきました。
 
見栄」と確認しました。
 
その後、いつからかあまり圧迫感を感じることは少なくなっていきました。
 

 
上記の私の例で視線恐怖症が軽快した理由は、瞬間的に確認した事実から以下が順次判明し、無意識に見栄を張ろうとする心の働きが弱まったためだと思われます。
 
  • 苦しい、と思っていたことが目に関係する圧迫感であること
  • 圧迫感が過去の「見栄を張って失敗した時の視覚イメージ」に由来するものであること
  • 無意識に見栄を張ろうとし、同時に見透かされて指摘される恐怖におびえていたこと
他にもヴィパッサナーの経験者の話がWeb上には色々ありますので、参考にしてみてください。
 
このような極端な例でなくても、日常生活で確認を入れていくことで「本来、対象から感じないはずの感覚」「単語」がふわっと出てくることがあります。
 
もちろん、言葉にならない感覚であれば無理に解釈せず「雑念」と流してかまいません。ここらへんまではカウンセリングの1手法である「フォーカシング」にそっくりで、感覚だけを確認しておけばよいです。
 
ただ、詳細に確認しつづけていくことで自分の今まで認知していた世界が、どれだけ反射的に作られていたのか、また自動的に不快を生み出しているタイミングがあるのかが分かってくると思います。
 
継続することで明らかに心がラクになってくる場面が増えてきますので、ぜひぜひ皆さんも日常編の瞑想、続けて見てください!